経営者を支える人材、経営を引き継げる人材

今回の記事は、マズローの欲求階層説をもとに企業の経営層、事業責任者の育成の課題に関する考えを書いています。
マズローの欲求階層説は、現代の心理学では厳密な科学理論としては十分な実証あるわけではありませんが、現実には人は安全、所属、承認を求めますし、多くの職場行動はその影響を受けていえるでしょう。

そのため、組織内における人の行動と心理、そして人事配置を考える1つの視点としてマズローの欲求階層説は活用できると考えています。今回の記事では、人を育成する際の手掛かりの1つとして読んでいただければと思います。

承認欲求で止まる組織と貢献で動く組織の違い

経営者が抱えている課題として、自分の下の経営層、事業責任者の仕事に向き合う姿勢に不満がある、また自分の後を任せるのに適した人材が育っていない、というものがあります。
このような課題を抱えた経営者は決して少なくないように感じます。

経営者としては、自分の立場に課せられた責任、期待などを理解して仕事に取り組んで欲しいと思っていても、経営者からの評価を気にしている、自分よりも他人が評価されることを過度に気にしているという部下の存在はもどかしいと感じるでしょう。
ここには承認欲求が関係しているのですが、承認欲求に囚われた人材が多いとどのようか組織になってしまうのでしょうか。

承認欲求の限界と回避行動

企業経営を含め、社会に意味のある活動を生み出し、動かしていく人には、自己実現や貢献に近い動機が見られることがあります。「自分が認められたい」だけではなく、「この事業を通じて何を実現するのか」に意識が向いている状態です。

もちろん、承認欲求そのものが悪いわけではありません。評価されたい、認められたいという気持ちは、仕事を覚える段階や成果を出す段階では、むしろ自然な動機になります。
しかし、組織の中核を担う人材が承認欲求中心で動いていると、組織の成長には限界が生じやすくなります。問題は、承認を求めることではありません。
問題は、承認を失うことを恐れて、必要な行動が取れなくなることです。
承認を失うことへの恐れが強いと、回避行動と言って挑戦することを避けることが多くなってしまいます。

例えば、トップが新しい挑戦をしようとしても、経営層、事業責任者が「失敗したら評価が下がる」と考えれば、判断は遅れます。
現場が困っていても、幹部が「自分の責任にされたくない」と感じれば、問題は共有されません。
この時、組織の停滞は能力不足だけで起きているのではありません。
承認喪失への恐怖が、挑戦、提案、対話、責任の引き受けを止めているのです。

承認欲求から自己実現欲求へ

経営者や創業者は、途中から動機が変化することがあります。
最初は「認められたい」「成功したい」から始まっても、事業が大きくなるにつれて、自分が「業界を変えたい」「顧客を救いたい」「社会に価値を残したい」へ移行していくことがあります。

大きな活動を長く続けるには、損得や地位だけではエネルギーが続きにくいです。評価されるかどうかではなく、実現したい価値があるから続けられるのです。
ただし、トップだけがその状態にいても組織は動きません。活動の規模が大きくなるほど、トップを支える人材が必要になります。

経営者と経営層、事業責任者の間に生まれるズレ

ここで課題になるのが、経営層、事業責任者がどんな欲求によって行動をしているかということです。
トップが貢献や自己実現で動いていても、周囲が承認や安全の防衛で動いていれば、組織にはズレが生まれます。

トップは前に進もうとする。経営層、事業責任者は失敗を避けようとする。現場は負担増を警戒する。
このズレが続くと、理念は掲げられていても、実際の行動は変わりません。結果として、組織は挑戦しているように見えて、内部では守りの判断を繰り返すことになります。
では、どうすれば経営層、事業責任者は自己実現欲求によって行動できるようになるのでしょうか?

経営層、事業責任者の自己実現欲求で行動できるようになるには

経営層、事業責任者を自己実現欲求で動けるようにしたいと考える前に、以下の2つのタイプに分けて考える必要があると考えています。

自己実現欲求への切り替えができる人

一つ目は、自己実現欲求につながる心理体験をすでに持っているが、自分でそれに気づけていない人です。

このタイプは、比較的育成の可能性があります。
例えば、本当は後輩の成長を見ることに充実感があった。
本当は顧客に喜ばれる瞬間に、自分の仕事の意味を感じていた。
本当は組織改善に関わることで、自分の能力を発揮している感覚を得ていた。

上記のような自己実現欲求の源泉を持っていても、それを上回る承認欲求を持っていると自分の動機に気づかないままでいることがあります。
この場合、必要なのは新しい価値観を押し込むことではありません。
過去の経験を振り返り、「自分はどの場面で能力を発揮し、何に意味を感じていたのか」を言語化することが必要です。

「評価されたから嬉しかった」のか。それとも、「自分の力を使って誰かの役に立てた実感があったから嬉しかった」のか。
この違いを本人が見つけられると、行動の軸が変わり始めます。
承認されるために動くのではなく、自分の能力を価値ある方向に使うために動くようになることを目指すのです。

これが、承認欲求から自己実現欲求への移行です。承認を求めることを否定する必要はありません。
ただ、評価を得ることを目的にするのではなく、自己実現の結果として評価を受け取る順番に変える必要があります。

自己実現欲求への切り替えが難しい人

一方で、難しいのは2つ目のタイプです。
自己実現欲求につながる心理体験そのものが不足している人です。

自己実現欲求は、知識だけでは育ちにくいです。
「自分らしく能力を発揮しましょう」と言われても、本人の中に実感がなければ、行動にはつながりません。
私は、自己実現欲求を持ちにくい人は、幼少期の体験の影響が大きいのではないかと考ええています。

例えば、幼少期に「自分の力を使って何かを成し遂げた」という体験が少ない。
親や周囲の大人から、結果だけではなく、工夫や挑戦そのものを認められた経験が少ない。
誰かの役に立ち、「自分にも価値を生み出せる」という感覚を持てた経験が少ない。
仲間と協力して目標を達成し、自分の役割に誇りを持てた経験が少ない。

このような体験が不足していると、自己実現欲求の源泉が育ちにくくなる可能性があります。
なぜなら、自己実現欲求は「自分には発揮する力がある」「その力は誰かや何かに役立つ」という実感を土台にして立ち上がるものだからです。

その土台が弱いまま大人になると、仕事の場面でも「何を実現したいか」より、「失敗しないか」「評価を落とさないか」が優先されやすくなります。
その結果、能力がないわけではないのに、自己実現に向かう行動が取りにくくなるのです。

この状態では、自己実現や使命という言葉は理解できても、身体感覚として残りません。
経営者の言葉を表面的には理解していても、心の反応としては失敗や評価低下への緊張が優先されて、経営者との共通理解を持つことが難しくなります。

そのため、このタイプは地道に下記のような体験を積み重ねる必要があります。部下の成長を本気で支援する。自己実現欲求で動く人の言動を真似る。
自己実現欲求は、単に「自分のやりたいことをする欲求」ではありません。
自分の能力を発揮し、それが価値あるものにつながっていると感じることで強くなります。
自己実現欲求の源泉が不十分な人は、むしろ自分のやりたいことではなく、望ましい行動を繰り返すことが必要です。
なぜなら「自分のやりたいこと」と考えると、承認を得ることになってしまうからです。

成功体験が邪魔をする人

さらに、もう一つ自己実現欲求で行動することが難しいタイプがあります。それは、承認欲求で成功してしまった人です。
学歴、スポーツや特技の成果、営業成績、出世、肩書き、社内評価。こうしたもので成功体験を積んできた人は、「評価されることが正しい」という認知構造を持ちやすくなります。
この場合、貢献や理念を語っても、頭では理解できます。しかし、心が動きにくいのです。

なぜなら、本人にとっては承認を得ることがすでに成功パターンになっているからです。
この人に対して「もっと貢献しましょう」と言っても、行動変容は起きにくいです。
必要なのは、評価の取り方を変えることです。
自分が目立つことで評価されるのではなく、他者が成果を出せる状態をつくることで評価される経験を持たせることです。

つまり、プレイヤーとしての承認から、支援者としての評価へ移行させる必要があります。
ここを設計しないまま役職だけを上げると、経営層、事業責任者は組織の推進力ではなく、停滞要因になります。

自己実現の先にある自己超越

経営者の近くで支援する人材に必要なのは、単なる忠誠心ではありません。
また、経営者個人への同調でもありません。
本当に必要なのは、経営者が実現しようとしている理念や世界観に共感し、自分の役割をそこに接続できる力です。
これは自己実現を超えて、自己超越に近い状態だと考えられます。

「自分がどう見られるか」ではなく、「何を実現するために自分の能力を使うのか」に意識が向いている状態です。
優れた参謀やNo.2は、トップを支えているように見えて、実際には理念の実現を支えています。
だから長く支えられるのです。人に従っているのではなく、目的に参加しているからです。

自己超越に至った人材を増やすには

では、組織は何をすべきでしょうか。
まずは、経営層、事業責任者に対して「もっと主体的になれ」と求めるだけでは不十分です。主体性は命令では生まれません。
私は、人が自己超越に至るには、以下の3つの条件が必要だと考えています。

第一に、意義のある行動によって価値をもたらす体験をする。
部下の成長を支援する。
顧客の課題を解決する。
組織の未来に好影響を与える行動をする。
こうした体験を通じて、「自分の仕事は誰に何をもたらしているのか」を実感させる必要があります。

第二に、心理的資本を高めることです。
希望、自己効力感、回復力、楽観性が低い状態では、人は貢献よりも自己防衛を優先します。
「失敗したくない」「否定されたくない」「評価を落としたくない」
この状態では、自己実現欲求、自己超越という状態には至りにくいでしょう。
まずは、挑戦しても回復できる感覚、提案しても尊厳が守られる感覚、責任を引き受けても孤立しない感覚を整える必要があります。

第三に、評価構造を変えることです。
承認欲求中心の人を変えるには、精神論ではなく、評価される行動を変える必要があります。
個人で成果を出す人だけを評価するのではなく、人を育てた人、情報を共有した人、リスクを早期に出した人、組織の目的に沿って他者を支援した人を評価する。そうしなければ、経営層、事業責任者はいつまでも自分の評価を守る方向に動きます。

経営者を支える人材を育成するために

結論として、組織が成長するためには、経営者だけが自己実現や貢献で動いていても足りません。
経営を支える中核の人材が、承認を失う恐怖ではなく、実現したい価値によって動ける状態をつくる必要があります。

そのために経営層、事業責任者には、まず「自分は何に意味を感じてきたのか」を言語化する機会を与えるべきです。
そして、部下、顧客、組織の未来と自分の仕事がつながりが意識できるようになることが必要です。
承認を求める人を増やすのではなく、貢献することで自己価値を感じられる人を増やす。

経営者を支えることで企業の生産性を高めることができる人材、そしてもし自分が経営をする立場になったとしても、経営者を支えてきた経験からどのように組織を運営すればいいかがイメージできる人材を育てることが、会社経営の重要な課題です。

そのためには経営者が承認欲求から自己実現欲求、そして自己超越に至るような環境設計を行っていくことが求められるでしょう。

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